婚約前夜の1992〜1993

「消えたお妃候補たち」小田桐誠:著を参考に

920 名前: 名無し草  2007/05/13(日) 17:32:30
    >>211
    以前から皇室御一行様★アンチ編に出てくる婚約前後の年表に
    1992年初頭から8月上旬が抜け落ちているのが気になっていた。
    理由はこれだろうと思う。
    彼女らがソースにしている

    「消えたお妃候補たち」小田桐誠:著

    このなかで、該当期間の記述がないせいだろう。
    ではなぜこの本にはその期間の記述がないのか。

921 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:32:52
    この本が出版されたのは1993年8月、成婚直後である。

    婚約決定に至る一番重要な動きのあった1992年は皇太子妃報道を自粛する申し
    合わせが日本新聞協会、日本雑誌協会で結ばれており、宮内庁側も情報流出に
    よってご破算になるのを恐れて徹底的に秘密厳守の姿勢だった。

    「実はあの時…」という裏事情が明かされ始めたのは、成婚後かなりたってか
    らのこと。
    愛子内親王誕生前後に出てきた情報もあるし、富田メモのように去年発掘され
    た情報もある。

922 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:33:09
    また一冊だけを情報源にするということにも疑問を感じる。
    複数の情報を照合してみるほうがより面白い。

    例えば、上記「消えたお妃候補」1993年には鴨場デートの偽装工作に関して、
    このような記述がある。

923 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:33:42
    この日、天皇・皇太子の毎日の食事を作る管理部大膳課の職員に、別の内舎人
    は、「昼はラーメンでいいですよ」と伝えていた。ラーメンは皇太子の好物で
    ある。大膳課職員は、「ああまたラーメンか」と思いつつ、昼食の準備にとり
    かかった。ラーメンが出来あがる頃、内舎人が厨房までやってきて、「今日は
    (一階の食堂ではなく)二階の部屋で召し上がるとおっしゃっているので」と
    二階に運んでいった。大膳課職員は皇太子は二階でラーメンを食べているのだ
    ろうと思い込んでいた。内舎人は、自分でラーメンを食べ、カラになったどん
    ぶりを下げたりしたという。

924 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:33:54
    しかし、この時期に大膳であった渡辺氏はこう述べている。

925 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:34:15
    似たような推測の報道のなかに、
    《両殿下はインスタントラーメンがお好きである。》
    というものがありました。(略)
    そのうえ、さらに一般の方が信じてしまいそうな話が続いています。
    《お住まいの東宮仮御所には、インスタントラーメンの詰まったダンボール箱
    が置かれている。》(略)
    なんとも不思議だと思いました。というのは、実際にインスタントラーメンの
    入ったダンボール箱が置いてあったからなのです。それは災害時に備えた職員
    の非常用食品でした。殿下へのご来客などで業務が深夜に及ぶとき、職員は夜
    食を食べることがあります。そうしたときにこのインスタントラーメンを食べ
    るといったこともあるにはあったようですが、なぜそれが「殿下がお好きで…」
    という話になってしまったのでしょう。その箱が置かれていたのは事務所のい
    ちばん奥の部屋で、外部の人がむやみに入れるような場所ではありません。
    考えられるのは、この事務所に取材に来たテレビクルーの人たちがインスタン
    トラーメンの箱を見て、それがマスコミ関係者に流れて、おもしろおかしく報
    道されるネタとなったのだろう、ということでした。

926 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:34:44
    (続き)

    最後のフレーズには、怒りを通り越して呆れてしまうとしか言いようがありま
    せんでした。想像とはいえ、何の根拠もなくこういう記事を書く記者というの
    は、それをどれだけの人が読み、どれだけの人がそれに影響されてしまうか、
    さらには、この無責任な記事が誌面に出てからどんどんとひとり歩きしてしま
    うことを、まったく気づかずに書いているのでしょうか。
    こうした報道には、本当に心を痛めました。「報道の立場として世の中の皆さ
    んに出すからには、きちんと根拠のある内容を書いてほしい」「少なくとも自
    分で書いたことに堂々と胸を張れるようなものにしてほしい」、そんなことを
    よく思ったものです。

    「殿下の料理番」 P175-177 報道の誤解 2002年1月

927 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:35:06
    そして、2002年2月出版された「敬宮愛子さまご誕生」にはこうある。

928 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:35:27
    それでも、昼食だけは殿下が召し上がったことにしなくてはならなかった。殿
    下のお食事は一週間毎に大体のメニューが決められていて、大膳係のコックが
    調理し、一階の食堂で、お一人で召し上がるのが常たった。
    この日はいつもと少し違った。事前に極秘に事情を打ち明けられていた職員は、
    朝方、殿下の希望ということで「きょうは、うどんにしてください」とコック
    に依頼。
    職員はうどんのどんぶりを抱え、殿下のお部屋のある二階に上がっていったと
    いう。
    事情を知らない他の職員もいたが、「お気の毒に、ゆっくり食事をされる暇も
    ないのか」と同情していたという。
    食堂に下げられたうどんのどんぶりは、きれいにつゆまで飲み下されていた。
    殿下は、塩分を取り過ぎないよう、おつゆはあまり飲まれないから、少し不自
    然だった。殿下のお目に入らなかったことは確かなのだが、果たしてうどんを
    食べたのは誰なのか。今でも謎になっている。

    「敬宮愛子さまご誕生」椎谷哲夫 P56 2002年2月

929 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:36:25
    ラーメンかうどん。
    麺類なのは確かだけれども。

930 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:37:01
    付き合わせてみると面白い点は他にもある。

    小和田雅子が皇太子妃候補から外れた、1987-1988年の状況などもそのひとつ。
    宮内庁側が、彼女の祖父がチッソ社長をしていたことを理由にはずした、とい
    う者もいれば、小和田家側が断わった、という者もいる。

    どちらの証言が正しいのか、あるいはどちらも正しいということがあるのか。

931 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:37:39
    まず、宮内庁側が候補からはずしているのに、小和田家が断わりを言うという
    ことはありえない。
    断りを伝えたという時点では、彼女はまだ皇太子妃候補に入っていた。
    断わった前後に、チッソ問題が浮上している。

932 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:38:04
    1998年3月、読売新聞社が帰宅中の小和田雅子にインタビューを試みている。

    グレーのスーツ姿の雅子さんは外務省からの帰り。
    「関係ありませんので。取材には一切応じないことにしています」
    と繰り返すだけだったが、何かふっきれたような笑顔が強く印象に残った。
    このころになると、宮内庁関係者から、
    「残念だが、もうだめになったようだ」「マスコミが騒がなければ、あるいは
    うまくいったかもしれなかったのに」
    と否定的な声が漏れてくるようになった。
    実はこの少し前、小和田家から内々に、
    「娘は外交官を続けたい、と言っている」
    と、辞退の意向が元外務省高官を通じて宮内庁に伝えられている。
    前後して、宮内庁も母方の江頭豊が水俣病を生んだチッソの社長を務めたこと
    で、「お妃にふさわしくない」という結論を下していた。

    「6月のプリンセス」読売新聞社社会部 1993年6月

933 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:38:25
    「特にチッソの問題は、宮内庁のいろいろな意向を覆い隠す格好の材料だった」
    (宮内庁担当記者D)といわれる。宮内庁内部には、小和田雅子にこだわらなくて
    も、他に良い女性がいるだろう、との楽観論もあった。

    「消えたお妃候補たち」p152

935 名前: ムシロ旗発言  2007/05/13(日) 17:39:12
    アンチ皇室ヲチスレ part170
    784 :名無し草 :2007/04/27(金) 18:45:39
    >>620
    (噂の真相 1993年4月号)
    当時の官房長官だった後藤田正晴が強硬に反対していたようで、一説には
    雅子さんで話を進めていた宮内庁幹部を『皇居にムシロ旗がたったらどうする
    つもりか』と怒鳴りつけたといわれているほどです。」 (宮内庁担当記者)
    ----------------
    後藤田が反対していた よ う で
    一説には「ムシロ旗…」と怒鳴りつけたと い わ れ て い る 
    ----------------
    噂真でさえ断定していないことを事実として流布、もちろんwikiにも掲載

936 名前: ムシロ旗発言 2007/05/13(日) 17:39:40
    「消えたお妃候補たち」P151

    宮内庁幹部は「訪問先で、水俣病のムシロ旗が立つようなことがあっては」
    と懸念した。
    -----------------------
    発言者の食い違いあり。
    「噂の真相」以外はすべて宮内庁幹部の発言となっている。

938 名前: ムシロ旗発言 2007/05/13(日) 17:40:21
    「消えたお妃候補たち」P38-39

    (1992年)
    首相をはじめ、中曽根康弘元首相、藤森を宮内庁長官に推したといわれる後藤
    田正晴らは皇太子のお妃選びの後押しに懸命だった。
    ある全国紙の社会部デスクがこう解説する。
    「佐川急便事件捜査の進展や竹下元首相の証人喚問、景気の低迷で自民党の支
    持率が落ち込むなか、皇室の慶事で流れを変えたいという声が自民党の中にあっ
    たのは確かです。後藤田は親しい人に『お妃選びにかかわっているんだ』と漏
    らしていましたし、中曽根は“小和田カード”を政治力復活のテコにしようと
    考えたんですよ。(略)
    ちなみに十二月の自民党人事で梶山は幹事長に就任、内閣改造では官内庁とか
    かわりが深い総務庁長官にという声が上がった後藤田は、一転して法務大臣に
    就任した。当初予定されていた鯨岡兵輔の法相は消えてしまった。宮内庁と首
    相官邸でもめたといわれる皇室会議の日程を、新しい委員長が決まる社会党大
    会にぶつけたのも後藤田の進言といわれる。
    それはともかく、皇太子と小和田雅子の再会と交際、小和田家の「ノー」の返
    事と再考を迫る動きが政・官界注視の中で進行したのは確かである。

939 名前: ムシロ旗発言 2007/05/13(日) 17:40:36
    反対者、というより雅子妃実現の影の立役者=後藤田

941 名前: 名無し草  2007/05/13(日) 17:43:17
    時系列にそって、論理的に物事を並べると、
    断わられたのは悔しくない、むしろ断わったのはこっちだという
    虚勢にしか見えない。

942 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 17:56:00
    たくさんの本を読んだし、新聞にも目を通した。
    週刊誌・ワイドショーで皇室を論じるのはあのスレだけでじゅうぶん。

943 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 18:03:44
    小和田雅子が逃げても、もっといい女性はいっぱいいる。
    そう意気込んだものの、次々に候補の女性たちは逃げた。

    その理由としてワシントンポストはこう報じた。
    1991年2月1日

    @「ミチコ要素」美智子妃と同じ苦労をするのは嫌だ、という女性側の感情
    A「オジン要素」三十代の皇太子は二十代前半の女性たちからは
      「オジン(オールド・ダディー)」とみなされる
    B「金持ち娘要素」日本の金持ち娘は皇居に入るよりももっと贅沢な、自由
      な人生を選ぶことができる
    C「ガンコ要素」皇太子が恋愛結婚することにこだわっている

944 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 18:03:58
    「消えたお妃候補たち」P77-78

    話が進む前に、当の女性とその家族が、激しい取材攻勢に恐れをなしてしまう
    こともあった。
    宮内庁から電話を受けた家庭の両親は、美智子妃が嫁ぐ前後の姿を知っている。
    気品があり、控えめで美しかった美智子妃が、やつれて痛ましい姿に変わって
    いく。
    公然の秘密となっていた“美智子妃いじめ”が、皇室への拒絶反応となってい
    たのである。
    もう一つ、若い女性の考え方や気質の変化があった。旧華族、名門といっても、
    本人たちにその意識は薄く、令嬢たちの中には「プライバシーのない生活はい
    や」「制度と伝統の中で生きるなんて」と家族や友人にはっきり言う者もいた。

945 名前: 名無し草 2007/05/13(日) 18:05:07
    皇太子妃に名前があがるのが「名誉」ではない時代。
    民間の方がより裕福で自由な人生を楽しめる時代。





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