小和田金吉氏の謎


小和田金吉に関する疑問

・系図を遡れないのは何故か?

77 名前: 名無し草 2007/03/17(土) 23:26:12
どうして明治元年、もしくは慶応三年生まれの人の戸籍が
はっきりしないのか。
これは当然の疑問だと思う。
うちも戸籍だけで簡単に天保まで遡れたし。

その「なぜ」を調べるのが面白い。

78 名前: 名無し草 2007/03/18(日) 09:24:21
>>72-74
相当戸籍法や民法に関する誤解があるのは確かだ。
戦前の旧民法を知っていれば出ない発言がある。

79 名前: 名無し草 2007/03/18(日) 14:23:10
・明治5年式戸籍
 日本最初の全国統一様式の戸籍で、壬申戸籍(じんしんこせき)といわれる。
 華士族、平民の別、職業、寺、氏神等も記載。
 屋敷で本籍地を登録。家制度に基づき、戸主とその子、孫も一つの戸籍に記載された。

・明治19年式戸籍
 副本制度が確立され、副本は郡役所に保管され、戸籍簿が焼失・紛失したときは、
 この副本によって再製された。
 地番によって本籍地を記載。

・明治31年式戸籍
 戸籍の他に身分登録簿が設けられる。

・大正4年式戸籍
 身分登記の制度廃止。

・昭和23年式戸籍(現行戸籍)
 家制度の廃止、三代(戸主・息子・孫)戸籍の禁止。

80 名前: 名無し草 2007/03/18(日) 15:57:05
最大の違いは「家制度」
結婚は家と家のものであり、家は戸主と呼ばれる家長を中心に数組の夫婦や親子
からなっていた。

妻が夫と離婚する場合、子は基本的に父親のものであり、母親には親権がなかった。
#http://www10.ocn.ne.jp/~kaigo462/ieseido.htm

金子みすずは法的に権利を有する夫に娘を奪われないために自殺をした。
#http://www.jtw.zaq.ne.jp/kamifu-sen/misuzu-otoko.html

まして小和田金吉の嫡男、毅夫は家督相続人であり小和田の家のもの。
親権を持たない竹野が子どもを手放さないためには、事実上誘拐するより他に方法
はない。

さらに原則的に家督相続は放棄できない。
小和田家の長男である毅夫は小和田の姓から原則としては離れられない。
#http://www3.ueda.ne.jp/~motomura/katokusouzoku.htm

81 名前: 名無し草 2007/03/18(日) 15:59:55
戸籍制度によって普通の家系でさえ150年程度は簡単に調べられる。
ではなぜ小和田金吉の戸籍に不明瞭な部分があるのか。

村上では三度の火災があった。
慶応四年(1868)戊辰戦争のさなか村上城の本丸が炎上し、藩政時代の貴重な資料が
失われた。
昭和22年(1947)には金吉の本籍地である本町役場が焼失。
昭和24年(1949)旧士族内部での内紛のため城跡保存育英会が内部資料を焼き捨てた。

これに加えて金吉の父、道蔵匡利が葬られた新潟市内の泉性寺は明治13年に大火に
みまわれ資料を失った。

戊辰戦争の際には城の炎上だけでなく、城主の首吊り自殺、西軍の進駐と城下の略奪、
藩士家族の逃亡もあり、出産前後の金吉の母は安堵できない日々を送ったと思われる。

82 名前: 名無し草 2007/03/18(日) 16:05:05
さらに不運なことに、金吉は祖父を四歳で、父を七歳で失う。
その息子毅夫は二歳で父を失った。
二代にわたる早世で世代の断絶、小和田家の歴史の断絶が起きた。

それではなぜ小和田家が村上藩士であるといえるのか。
状況証拠から固めていこう。

83 名前: 名無し草 2007/03/18(日) 16:52:59
金吉のもとを妻竹野が去ったのか、死別後実家に戻ったのかは
両説あり、確定はしていない。
公式には死別後実家に戻ったとされている。


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