小和田金吉氏の謎


小和田金吉に関する疑問

・系図の年齢が父親と合わない?

94 名前: 名無し草 2007/03/21(水) 17:32:26
さて、小和田金吉とその父との年齢があわないという主張について。
結論から言うと、単純な事実誤認である。

95 名前: 名無し草 2007/03/21(水) 17:33:46
>>74を参考に単純に書くと金吉の家系図は、こうなる。

道助匡春─兵五郎─道蔵匡利─金吉─毅夫─恒─雅子

もう少し詳しく書くとこうなっている。

        1825没
    ┌新六匡安
    │  1794生 1858没. ┌勝治──○──○──○──昭三・豊春
    ├─道助匡春. ───┤
    │    (64才)    │1871没   1874没   1868生1900没(33才)
    │.            └兵五郎─道蔵匡利───金吉
    │                              ├──毅夫
    └新九郎                     (熊倉)竹野

小和田金吉の生年は、明治33年に33歳で亡くなったことから1867年と1868年の可能性がある
が、ここでは1868年(?)で統一しておく。

96 名前: 名無し草 2007/03/21(水) 17:34:16
このうち生年がわかるのは道助(1794年生)
その子、兵五郎がもし五男だったとして、三男である金吉が生まれた年齢まで間隔が不自然
だ、という主張がされている。

しかし、小和田家の家系に関する二冊の本、
・遥かなる村上藩──雅子妃のふるさと(1993年6月)
・小和田家の歴史(2001年12月)──P37
によると、

┌道助匡春─兵五郎─道蔵匡利─金吉─毅夫─恒─雅子
└新六匡安

ではなく、

新六匡安.┬兵五郎─道蔵匡利─金吉─毅夫─恒─雅子
      └道助匡春

と、なっている。
つまり、兄である道助匡春と弟、兵五郎を親子と捉えたために生じた勘違いであるようだ。

97 名前: 名無し草 2007/03/21(水) 17:35:28
ソースも示しておく。

・遥かなる村上藩──雅子妃のふるさと(1993年6月)
 新六匡安の子に道助という秀才があらわれた。──P66

 小和田雅子さんの先祖である兵五郎は西本願寺派の西真寺の過去帳にあるが、道助の兄弟
 として分家したと言われている。昭和62年11月に毅夫氏、恒氏の両夫妻が墓参に訪れたと
 きに対面した細工町の小和田豊春さんが、「私のところは道助の兄弟の勝治から分家して
 いる」と説明したところ、毅夫氏も、「うちも道助から出ているんです」と語ったという。
 ──P73

・小和田家の歴史(2001年12月)
 道助には勝治、兵五郎という兄弟(もしくはいとこ)がいたといわれる。──P37

98 名前: 名無し草 2007/03/21(水) 17:45:27
ではなぜ、金吉の祖父である兵五郎とその兄弟・勝治を、道助の息子と間違ったのだろうか。
これは、この言葉に対する誤解であると思われる。

毅夫氏も、「うちも道助から出ているんです」と語ったという。(ソース・毎日グラフ臨時増刊)

旧民法下でAからBが分家した、という場合、AとBは親子ではなく兄弟の可能性がある。
手元にある戦前の戸籍を見ても、兄のもとから弟たちが、それぞれ分家して出ていた。

1794年生まれの道助が家督を相続したのは、父新六が亡くなった1825年、三十一歳か
それ以前だろう。
兵五郎の生年は分からないが、仮に1810年とすると父の死去のときは15歳。
分家したのは兄が戸主になった家からと考えて差し支えないのではないだろうか。

99 名前: 名無し草 2007/03/21(水) 17:49:24
小和田家系図・・・推測

        町同心   1793生1853没(60才)
    ┌新九郎───郡蔵───皆蔵 ?生1897没
    │
    │           1794生1858没(64才)
    │      ┌道助匡春(本家)
    │ 1825没 │
    └新六匡安┼勝治──○──○──○──昭三・豊春
            │
            ├郡蔵
            │  1871没   1874没   1868生1900没(33才)
            └兵五郎─道蔵匡利───金吉
              同心             ├─毅夫
                         (熊倉)竹野    ├─恒
                 田村寛一郎─(養女)タカ   │ ├─雅子
                              ├──.静 優美子
                  嵩岡可笑─(三男)又四郎

100 名前: 名無し草 2007/03/21(水) 17:51:19
余談であるが、郡蔵に関しては、新六の嫡子、新九郎の嫡子の二つの記述がある。
これが著者による誤字でない場合、以下の可能性がある。

1.従兄弟同士である二人の郡蔵がいた
2.息子がたくさんいた新六の家から、男子のいない新九郎の家に養子に出た

新六の血筋の本流となった道助よりも、新九郎の息子の郡蔵のほうが年長であることから、
二人の郡蔵がいたと考えた方がよいかもしれない。
ただ、道助は小和田家の中で傑出した秀才であったようで、町同心だった親よりも一段高い
地位に出世し、家禄を倍増させた。
このため、兄が出、弟が家に残ったという可能性もわずかではあるが否定できない。

村上城にあった文献が焼失した以上、これらはすべて推測に頼るよりほかにない。

101 名前: 名無し草 2007/03/21(水) 18:33:22
小和田家の系図・・・勘違い



        1825没
    ┌新六匡安
    │
    │  1794生 1858没 ┌勝治──○──○──○──昭三・豊春
    ├─道助匡春───┤
    │    (64才)    │1871没   1874没   1868生1900没(33才)
    │            └兵五郎─道蔵匡利───金吉
    │                              ├──毅夫
    └新九郎                     (熊倉)竹野


102 名前: 名無し草 2007/03/21(水) 18:36:29
小和田家系図・・・推測

        町同心   1793生1853没(60才)
    ┌新九郎───郡蔵───皆蔵 ?生1897没
    │
    │           1794生1858没(64才)
    │      ┌道助匡春(本家)
    │ 1825没 │
    └新六匡安┼勝治──○──○──○──昭三・豊春
            │
            ├郡蔵
            │  1871没   1874没   1868生1900没(33才)
            └兵五郎──道蔵匡利──金吉
              同心             ├──毅夫
                         (熊倉)竹野   │
                                    ├──恒
                 田村寛一郎─(養女)タカ  │   ├─雅子
                              ├──静   優美子
                  嵩岡可笑─(三男)又四郎



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