小和田金吉氏の年表-2

523 :名無し草:2007/07/05(木) 14:38:22
小和田金吉氏

本籍地 新潟県村上市本町一現在の飯野一丁目

1868年(明治元年) 誕生

1884年(明治17年) 17歳
村上鮭産育養所の漁業権者名簿に金吉
(名簿は村上城址保存育英会が保存)

?年  ?歳
村上藩「種川の制」の収益で創設された旧藩士子弟の育英制度の一員(鮭の子)に

1885年(明治18年)前後  18歳前後
新潟の学校に在籍

?年  ?歳
学校を卒業後、新潟の吏員、高田税務署の税吏に

?年  ?歳
大学で教鞭をとる
(神一行氏の著より しかし個人的には疑問…経歴・居住地から不可能では)

1900年(明治33年) 33歳
死去

524 :名無し草:2007/07/05(木) 20:51:43
大学で教鞭というのは確かに疑問
聾唖者教育を行なっていたという記述がいくつかの本に記載されている
おそらく仕事の傍ら私塾のようなことをやっていたのでは

明治維新は没落するものもいたが、意志のあるものは上を目指せた
米屋から転じて醤油醸造・製粉業で財を成した正田家
足軽級の士族から官界に出た小和田家
苗字のない農家から出て教育者になった松浦家
どれも似たようなもの
青雲の志ってやつ?
それを否定するのは明治以降の歴史を否定するのと同じだろうに

525 :名無し草:2007/07/05(木) 21:39:16
>>524
足軽級は士族と言わない
藩政時代に士分以上だったものが士族
足軽などの士卒は平民であある

526 :名無し草:2007/07/05(木) 21:48:12
ふーん、なら三人とも平民なんだ

527 :名無し草:2007/07/05(木) 21:50:11
>村上鮭産育養所の漁業権者名簿に金吉
>旧藩士子弟の育英制度の一員

下級武士でFA


528 :名無し草:2007/07/05(木) 21:54:45
村上の内藤家は貧乏で有名だったそうだけど京都所司代をやって
尊王の思いは篤かったらしい
その一方で徳川譜代の臣という意識も強くて、板ばさみになった
若い藩主の自殺につながったと考えられる

529 :名無し草:2007/07/05(木) 22:02:54
藩によって扱いが若干違うし、藩独自の制度(郷士、「手明槍」、「徒歩」)
もあり明治以降の士族、平民の一部は複雑


資料
【ソース】皇室の中の人【キボンヌ】530-533
『諸君!』1993年3月号  天皇家の「生存への選択」  保坂正康


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