チッソ問題 1-年表

http://ex20.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1181605538/454より

1932(昭和07) アセトアルデヒド生産開始・年産210トン
1935(昭和10) 年産3,600トン
1939(昭和14) 人間への水銀汚染が確認される
1940(昭和15) 年産9,000トン
1941(昭和16) 最初の水俣病患者発生
1951(昭和26) アセトアルデヒド製造工程の変更
         (触媒の変更など=水銀排出量が増加?)
1956(昭和31) 水俣病の公式確認
1957(昭和32) 西田栄一、水俣工場長に就任(1960まで)
         工場内でネコを使った確認実験が行われた
         江頭豊、中小企業金融公庫理事在任中(49歳)
1958(昭和33) チッソ、排水を八幡プールに流し始める
1959(昭和34) 水俣工場にサイクレーター完成・当時の金額で一億円
         (浄化設備・有機水銀の浄化はできなかった)
         厚生省、湾内で有機水銀を検出するも、通産省、有機水銀原因説否定
         漁業関係者との補償契約、被害者互助会との見舞金契約をむすぶ
         (水俣病被害はいったん、解決したとされる)
         ttp://www.soshisha.org/nyuumon/shitsumonbako/hosho.htm
1960(昭和35) アセトアルデヒド生産量のピーク・年産45,244トン
         アミン原因説(魚の腐敗)が出される
1961(昭和36) 江頭、興銀常務取締役大阪支店長就任
1962(昭和37) 5月、江頭、興銀から新日本窒素の専務取締役
         合理化提案・第二組合設立により労使紛争
         アセトアルデヒド生産の大幅な縮小が始まる
1964(昭和39) 10月、江頭、生え抜きの吉岡喜一に代わり社長に就任(56歳)
1965(昭和40) 社名を「チッソ」と変更
1966(昭和41) 6月、排水処理施設設置・当時の金額で50万円
         ttp://www.southwave.co.jp/swave/8_cover/2002/cover0224.htm
1967(昭和41) 江頭社長、長期合理化計画発表
1968(昭和43) 5月、水俣工場でのアセトアルデヒド生産停止
         9月、政府・水俣病を公害認定

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