アカ臭い婆と嘘wiki:今上の項目

64 :名無し草:2007/09/28(金) 20:38:20
327 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2007/09/28(金) 20:11:06 ID:m0TkU1360 >277 意見が分かれる所だとは思うけど、 ほんとに血だけでいいのかな。 天皇っていうのは、宗教のようにある程度人々を引き付けたり、 拝みたくなるような何かが必要なんじゃないかなー。 だから人徳とかいるし、国民が大切に思われていると感じていなくちゃ 支持されないんじゃないかな。 雅子さんは一般人なら自己中気味な奥さんで済んでると思うけど、 人間として大事な何かが決定的に欠落してる、って事が 皇室に入ったことで明るみに出たと思う。
--------------------- >国民が大切に思われていると感じていなくちゃ >支持されないんじゃないかな。 どこまでもアカ臭い婆たち 66 :名無し草:2007/09/28(金) 20:53:53 >>64
464 :可愛い奥様:2007/09/28(金) 20:51:18 ID:RLJEtKy20 >>327 それこそ今上と美智子様が戦後皇室のあり方として身をもって実践してこられた事だよね。 終戦で戦犯たちが次々と裁かれ、処刑されていった。自分の父親も、そして自分も そうなるかもしれないという状況で思春期、青年期を過ごされた今上。 戦後の民主主義、人間は皆平等という価値観の時代に皇室が存在する意味はなんだろうかと 模索してもいらしただろう。 そして美智子様が今上と価値観を共にし、支え続けた。 橋本氏の『美智子さまの恋文』p180より >辛い事ではございますが、見られ、知られ、判断され、そのうえで支持されて、 >初めて私たちの幸福感は“社会的”なものになるのではございませんでしょうか。 国民の支持こそが皇室の支えだと。 ナル懐妊中の昭和35年1月。美智子様25歳の時のお手紙。
156 :名無し草:2007/09/29(土) 10:44:08 >>66 >終戦で戦犯たちが次々と裁かれ、処刑されていった。自分の父親も、そして自分も >そうなるかもしれないという状況で   ↑ これを見て思い出した
WIKIk (明仁 皇太子時代) >1963年には美智子妃の第二子流産・静養もあり、また子育てには時代の風潮などもあり、 >当時の皇太子妃美智子共々、苦労が多かった。 >「浩宮の代で最後になるのか」との発言もあったと言われる。
浩宮に悪いイメージをもたせようとしている記述で、一家の子育て上の悩みから出た言葉のように思わせようとしている 実際は違う 王制が倒されていく当時の社会情勢からきたもの   -----------------------------島田雅彦 「おことば」------------------- のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、 イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという ----------------------------------------------------------------------




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