兄と弟090208

・昭和天皇と秩父宮
 資料:別冊女性自身 昭和46年皇室特集号/天皇から紀宮まで 激動の70年
・今上と常陸宮
 資料:入江侍従日記 昭和40年(1965)3月24日


皇室御一行様ヲチスレ part332
308 :名無し草 [sage] :2009/02/08(日) 17:24:56 秩父宮は(昭和)天皇と違い、かなり自由にお育ちになった。若くしてイギリスの 大学に学び、見聞を広められた。事実天皇を含めた四人のご兄弟の中で、もっ とも聡明であると噂されていた。 こんなことがあった。 宮の学習院時代の教師で、有名な歴史学者の大森金五郎先生が、新聞記者 に宮の才能をしきりとほめたたえ「兄の裕仁さま以上だ」と、つい口をすべらせ てしまったのである。それが翌日の新聞に載ったので、たちまち大問題に発展 し、大森先生は即日クビになり、気の毒なことに、それがもとで発狂し、とうとう 死んでしまったという。 秩父宮が兄天皇に反感を持っているという噂もあった。側近たちには、しきりに 天皇のことを“鈍行馬車”と皮肉っていたと伝えられている。 一方、天皇のほうは、さすがに兄君だけあって、弟を寛大な目で眺めておられ 「秩父宮は私にない帝王の性質をいろいろそなえておる。(略)」と高く評価された。 おふたりは、かならずしも反目されていたわけではなかったが、二・ニ六事件を 巡って秩父宮が陰の人物の一人であるかのようなデマが流れた。(略)しかし、 秩父宮はいち早く宮中にかけつけ、天皇にまごうかたなき忠誠を誓ったという。 以後、秩父宮は、天皇のよき相談相手であった。 別冊女性自身 昭和46年皇室特集号/天皇から紀宮まで 激動の70年
・・・鈍行馬車と急行馬車があったのかな? 309 :名無し草 [sage] :2009/02/08(日) 17:42:12 >>308 何時の時代も、周りの人間の質が低い まあ、もしかしたら本人の資質がそういう輩を呼び込むのかもしれんが 兄宮がどっしりとぶれないのは、今も変わらずか 今上のそういうエピはないのか? あの兄弟もあまり仲がよかったわけじゃないらしいから というか、側近同士が張り合っていた? だからこそ、兄弟を一緒に育てたいと思ったんだよな<今上 それが正解だったかは、多少疑問が残るが 今の状態見る限り、同居は幼少時のみで 学校に上がるようになったら、分けるべきだったかもな 次からはそういう心配もないんだろうがw 何しろ親王一人しかいなし 310 :名無し草 [sage] :2009/02/08(日) 17:47:49
入江侍従日記 昭和40年(1965)3月24日 山田君(山田康彦東宮侍従長)が来て東宮さまにいろいろ申し上げた ことについての話、人づかひが荒いこと、つまらない臣下のあらをとり あげないこと、孝養をおはげみになるべきこと、常陸宮さまと御仲よく 遊ばすべきこと。
314 :名無し草 [sage] :2009/02/08(日) 17:54:09 常陸宮ってなんか全然兄と張り合おうとか思ってなかったんじゃない? 兄が遊びに来てくれてうれしかったとかそういう彼のエピはいつもほのぼの 317 :名無し草 [sage] :2009/02/08(日) 18:10:37 >>314 陛下の方が、いささか拘っていたんでないの? 常陸宮は性格が穏やかで、母の香淳皇后に可愛がられていたから 憎しみを抱いていたこともあると、橋本爺が言っている 正田美智子と結婚するなら、弟に皇位を譲って出て行けと主張する 保守派さえ当時はいた



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