メモ:明治以降の天皇と祭祀

アンチ皇室ヲチスレ part233

332 :名無し草:2008/02/17(日) 07:57:54
619 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/02/17(日) 07:51:18 ID:6120g8Ls0 皇太子様の代には祭祀も拒否なんですかね? 621 名前:名無しさん@八周年[某宗教sage] 投稿日:2008/02/17(日) 07:53:52 ID:SSn3edMUO 何か勘違いしている人多いけど、 性格の不一致とか精神症とかは関係ないからね。 精神症で遊び狂うってのも普通聞かないしね。 雅子は最初から皇室を掻き回し、皇室を破壊するために入ったんだよ。 特に神事を潰すためにな。
-------------------------- 祭祀丸投げで、ほとんどしていなかった明治天皇は… 333 :名無し草:2008/02/17(日) 08:43:05
昭和の皇室と平成の皇室の間には、重大な違いが横たわっている。 それを一言でいえば、平成になり、皇后の役割が増大したことである。 (中略) 明治維新とともに、天皇は東京に移り、宮中の刷新が図られた。 新嘗祭を除くほとんどの祭祀が、このとき新たに創られた。 (略)明治天皇は江戸時代からの価値観を受け継ぐ一方で、宮中祭祀 を「創られた伝統」と見なす冷めた合理主義があったように思われる。 なぜなら、祭祀に頻繁に出席するのはせいぜい日清戦争までで、そ の後はあまり出なくなるからだ。 (中略) 大正天皇は1919(大正8)年頃から脳病がひどくなり、公務や祭祀に 出られなくなる。このことは、皇后の地位が相対的に浮上することを 意味した。 (中略) (貞明皇后は)法学者の筧克彦が唱える「神ながらの道」にのめり込 むなど、神がかりの傾向を強めていく。 論座2008.3 原武史 変貌する「象徴天皇制」



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