オックスフオード留学時代について

175 :名無し草:2007/10/25(木) 22:56:57
>>157の婆嘘
オックスフオード大学院→国費で外国からのお客様扱いの留学であったが、当時家族が
            赴任していたフランスにしばしば遊びに行ったり、同棲したり
            して勉強に身が入らず、父親のコネも効かないため、同期の
            なかで唯一卒業できずに帰国した


1-国費で外国からのお客様扱いの留学
2-当時家族が赴任していたフランスにしばしば遊びに行った
3-同棲した
4-父親のコネも効かないため、同期のなかで唯一卒業できずに帰国した

この時期の資料はプリマサしか読んでいないから殆ど知らないんだけど
どこから出て来た婆嘘なんだろう?



177 :名無し草:2007/10/25(木) 23:11:27
同棲ではない
日本からの取材攻勢があまりに酷かった
それで指導教師のサー・アダム・ロバーツが、オール・ソウルズ・カレッジの
出納長(口が堅いことで有名だった)チャールズ・ウェンデン夫妻のもとに
雅子さんを預けた byプリマサ

179 :名無し草:2007/10/25(木) 23:22:18
>>175 婆嘘>オックスフォード留学中に同棲した

>>177 ↓ここらへんだね

p.170
大学院生として、雅子はベリオールから歩いて十分もかからない大学の寮、ホーリーウェルマ
ナーに住むことになった。しかし、数週間のうちに日本のテレビ取材チームが到着した。明らか
に、この話が終わったというのを本気にしていなかったのである。雅子は出かけるたびに向かい
の小さな公園からカメラで追われることに抗議した。
(中略)
雅子は「指導教師」のサー・アダム・ロバーツに対処方法を相談した。


p.171
ロバーツは悩んでいる雅子を他の友人に託した。そして、雅子がメディアを避けてチャールズ・
ウェンデンと妻のアイリーンのもとに身を寄せたことを何年も後になるまで知らなかった。ウェ
ンデンはオール・ソウルズ・カレッジの口の堅いことで有名な出納帳である。ウェンデン夫妻は
何年か前にハーヴァードに通っていたときのオールドマン夫妻と同じように、雅子の保護者とな
った。
(中略)
オックスフォードは秘密を守り、雅子はそれ以上メディアに悩まされること
なく学業を続けた。




185 :名無し草:2007/10/25(木) 23:36:55
>>175
>父親のコネも効かないため、同期のなかで唯一卒業できずに帰国した

プリマサ
p.172-171
雅子がどうしてオックスフォードで学位をとらなかったのかについてはさまざまな憶測がめぐ
らされている。
(略)
日本のメディアはこれを体調が悪かったせいだとしている。


p.173
(ベン・ヒルズ説、ロバーツ談話による)
彼女の学問は、皇太子と結婚するという決心によってもたらされた被害の最初
のものだったのである。彼女はアメリカが1980年代に日本に戦闘機を売ったことについて研
究していた。日本が独自に戦闘機を開発するのを見ているのではなく、日本の製造業者にハイテ
クのF16戦闘機のライセンスを与えるというのは、おそらくはかなり議論のある決定だった。
皇室に入る人間にとってはあまりにも論議を呼びそうなテーマだとロバーツは言う。
「皇族が研究するテーマは、難解で害のないものでなければならない。裕仁が関心を持っていた
のは何だった? 軟体動物かなにかじゃなかったかな」
 雅子は皇室が厄介なことにならないように、二年間研究した論文をあきらめることに同意した。
ロバーツは後に東京滞在中に東宮御所に招かれ、他のもっとおとなしいテーマで論文を完成させ
ることについて雅子と話をした。
「目の光から、他の論文を書くつもりがあるんだと思った。東京大学図書館から何冊か本を取り
寄せてもいた。しかし、理由はわからないが、それは実現しなかった」


187 :名無し草:2007/10/25(木) 23:53:04
p.187
 勤勉な雅子は、それほど遊ばずに勉強に没頭していた。
(略)
 浩宮とは違って、雅子がオックスフォードのパブを楽しんだとは想像できない。ワインのこと
を少しは知っていたが、あまり飲むほうではなく、出席したパーティやレセプションなどでは、
ソフトドリンクをすすっている姿を見られることが多かった。テニスをしたり泳いだり、パリに
住む家族に会いに行ってフランス語の練習をしたりもした、父親はOECDの特命全権大使のポ
ストをうまく手に入れていたのだ。


p.187-188
日本学者で、東京にあるオックスフォード大学に本事務所の所長のデイヴィド・モリス博士
はオックスフォード時代の雅子を知っていて、「彼女はいつも日本関係の活動を促進する手伝いを
していた」という。
(略)
恋愛に関しては、オックスフォード時代もほとんど噂の材料になるものがなかった。


p.190
(ベリオールの学寮長、アメリカ人のノーベル賞受賞者、
 バルーク・ブランバーグ博士談)
オックスフォードで雅子と出会ったたいていの人と
同じように、彼は雅子のことを「控えめで、穏やかで、思慮深く、知的」な女性だと思った。








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